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「稲盛和夫の実学経営と会計」




 この本は1998年に書かれたものである。企業の経営経験のない私が読んでも、当たり前なことが書かれている。けれども、やはりその当たり前なことが運営の本質なのでは?

現在の世界は言うまでもなく、ITバブルの崩壊や同時多発テロ、サブプライムローン問題など当時の状況から大きな変化が生じている。世界中の経営者の置かれている立場にも大きな変化がおこり資本主義という概念自体が見直されようとしている。しかし、この本で稲盛氏の述べる経営哲学はいつ、どんなときも変わらないものではないだろうか。彼の述べていることは企業の経営経験のない私からすると当たり前でとても簡単なことのように思える。彼の経営哲学は昨今では経営者や会計士のありかたとして当たり前の形になっていてもおかしくはない。それほど同書の哲学は簡単で経営行動の根本的なことだと思われた。けれども、現在の世の中を見ると一概とそうは言えないのかもしれない。

彼の哲学は大きく分けて3つに分けることができる。第一が“分かったフリをしないで、分からないことは分かるまで聞き、本質を理解し解決する。”という本質理解の哲学だ。現在の世の中に分からないことをはっきりと「分からない。知らない」と言える経営者がどれほどいるだろうか。権力や肩書が伴えば伴うほど、人は知識不足の露呈を恐れ、常識を疑わない。けれども、稲盛氏は、わからないことは積極的に理解しようとする。そしてそれが本質的におかしいと感じたとき、それを変えるのである。例えそれが常識であるとされていることでも 。これは次の哲学にも関係する。
 
第二の哲学は“曖昧さや妥協を許すことなく仕事を仕上げる”という完璧主義的哲学である。完璧主義と言っても難しいことを述べているわけではない。ただ、一つひとつの仕事をきっちりとこなせということだ。一方で経営者は指示をするだけでなく実際に現場へ確認することが必要であり、さらに罪を作らせない思いやりが必要である。経営者は社員が確実に仕事をこなせる場とシステムの提供が必要なのだ。
 
最後は“自分で額に汗して稼いだものしか利益ではない”という投資哲学だ。投機によって利益を得るということは目的のための手段であったはずだ。何かやりたい事や作りたいものという目的があり、そこで資金が必要なのでそれを調達する手段が投機であるはずだ。しかし、昨今の世の中を見ても分かるように本来は手段であるはずの投機による利益が目的へと摩り替わってしまっている。それが最終的には会社の根幹を揺るがすほどの甚大な被害がもたらされ、我々にも大きな影響が及ぼされる結果になる。稲盛氏の言葉を借りれば「自ら働いて得る利益を尊ぶという原理原則を経営者が無視した結果である。」

 稲盛氏の述べている哲学は決して難しいことではない。けれども、簡単なことをしっかりと確実にこなせる人間がどれほどいるだろうか。彼の哲学に基づく行動行っていれば自然に、経営者の行動自体が一番のコーポレート・ガバナンスになりえたはずである。もし、世界の経営者が同書に書かれている通り当たり前のことを当たり前にこなしていればやはりこれほど世界が経済、金融によって暗くなることはなかったのではないか。もちろん、当たり前のことを当たり前にこなすことが実は最も困難であるということは言うまでもないのだが。
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