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受験エリート戦士たちと僕。

中学受験についてめちゃめちゃすごいblogerである金融日記さんの記事

「中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソ」

で話題になっているので僕も少々。

考察しているのは東大出身とか、所謂勉強が上手な人たちばかりだ。
きっと小学校の時からクラスや学年、塾内のトップクラスで勉強をすることなんて当たり前なことだったんだろう。なので、勉強が「できなかった」側の考察もおもしろいかなと。新鮮かなと。そうでもないか。

Intermissionまでの前半が僕の生い立ち的な何かで、後半が考察。
たぶん、なぜこういう考えへ至ったのかという解釈が前半の生い立ち部分であるとかないとか。
考察と呼べる代物かも甚だ疑問ではあるが一応書く。書きまする。

僕の育った環境は少し特殊な気がする。今思うと、そのなかでも僕は風変わりだったのだろう。
小学校4年生くらいになるとまわりのみんなは中学受験というものに体勢がシフトしていった。
それまで一緒に遊んでいた仲間がしだいに「俺、今日塾だから。」と、抜けていったのである。
さらに、僕がキャプテンを務めていた地元のサッカークラブの人数もしだいに減っていった。
最初は20人ほどいたのに残ったのは4人ほど。みんな受験戦争に巻き込まれていった。

こんなエピソードを覚えている。
僕には生まれた時から一緒だった幼なじみが2人いる。よく周りから「仲良し3人組」などど呼ばれていた。
小学校3年生の夏休みに地元に小さい学習塾ができた。そしてその年の夏、幼なじみのひとりがその学習塾の夏期講習に通い始めたのだ。いつも3人で遊んでいた僕らは2人になった。「なんだよ塾なんて。ダッセー。」そう言いながら最初は2人でボールを蹴っていたが、しだいに「学習塾」とやらが気になってきたので、二人でこっそり中を覗いてみることにした。窓から。
するとそこにはホワイトボードの前にひとりの大人が、そしてそれを真剣に聞いている友人の姿があった。
普段は勉強なんかせずに一緒にバカみたい遊んでいた仲間たちが真剣に座って話を聞いているではないか。その異様な光景に僕は得体の知れない恐怖を感じていた。隣にいたもう一人の幼なじみと「おれたちはゼッテー塾なんて行かないよな。」という誓を立て、家に帰ってからも親に「みんなが受験しても俺は絶対しない。」という宣言をした。それが僕が受験戦争という巨大な社会のウネリの片鱗を最初に感じた時だった。

それから数カ月たって、隣で「塾なんていかねー。」と誓を立てた幼なじみも某大手の塾に通い始め、最初に地元の学習塾に通い始めた方も物足りなかったのか大手の塾へ移籍した。もちろん彼らはサッカークラブをやめた。

そして数年たって彼らは中学受験戦士のエリートとなり、「開成」や「麻布」へと入学していったのである。

その間僕は鼻くそをほじくりながらボールを蹴っていたわけだが。

中学受験を経験した戦士たちに聞くと「開成」や「麻布」の名の持つ破壊力は相当なものらしいが、僕はなんもしらない。「ふーん。二人は「かいせー」とか「あざぶ」って中学校に行くんだ。じゃあ今度サッカーで戦おうぜ。」こんな感じである。

その二人以外の友人たち(主にサッカークラブをやめた人々)もかなりエリート戦士だった。
「つくこま」や「けいおー」、「ずしかいせい」などに次々と入学を決めていた。そんなエリート戦士たちの中に僕はいたのだ。みんなからしてみれば「戦闘力1か。ゴミめ。」といった感じだっただろう。
そんなことも知らない僕は卒業写真の中央で誇らしげに腕を組んでいる。キャプテンマークをつけて。

このことからも分かるように、僕は「勉強」が嫌いだったし、そして頑固だった。
僕の両親もすごい精神力だ。周りの友人達は親も子も受験戦争を戦っていたのに、僕の主張を受け入れてくれたのだから。しかも一人息子なのに。この時から僕は「周りに流されたくない」人間だったのかもしれない。

周りのみんなは中高一貫エリート学校へ入学し、見据える先は「大学受験」であっただろう。
僕はというと地元の公立中学校へ行き、高校も地元の公立高校へ行った。とりあえずサッカーがしたかった。

それから数年経過して「けいおー」とか「わせだ」に行った奴ら以外はみんな同じ戦いへと巻き込まれ始めた。

大学受験だ。

同じ戦いだけれども土俵は明らかに違った。6年間勉強してきた彼らと人生で半年しか勉強していない僕。
時間よりもなによりも「戦争」を一度経験している彼らとはじめての戦争へとかり出された僕。
経験があるのとないのとでは雲泥の差があるのは言うまでもない。
もちろん、大学受験とか偏差値ってのは他人と比べるものでもない。自分との戦いである。
けれどもやっぱり同じ状況、目標の中で戦っている限り周りは気になるのである。
気になっている時点で僕は「戦闘力1」なわけだが。

小学校の友達は受験のエリート戦士たちなわけで、もちろん現役でバシバシ受かっていく。小学校の時の卒業写真を見ても僕の周りは「東大」「東大」「慶応」「早稲田」「東大」「京都大」みたいな感じである。現役で。なんなんだ。
ちなみに、「塾なんてゼッテーいかねー。」と誓を立てた幼なじみは開成→東大コースであるww

僕はというと土壇場で大学へ行く意味を考えた。そしてその結果、「もう少しおもしろそうなカッケー大学へ行きたい。」という結論にたどり着き、土下座して浪人を許して貰った。援助までして貰った。なんとも恵まれていた。

「もう少しカッケー大学へ行きたい。」と思ったのは学歴が低いと人生がダメ。とか考えたわけではなくてただ単に「すこしでもカッケー大学のほうが色々おもしろくなる気がするし後々色々出来るんじゃないか」というダメな思考回路で動いていたためである。今も「こうしたほうがおもしろくなるからやる!」という思考回路は根本的に変わっていない。どんな大学が果たしてカッケーのかも自分には分からない。誰か救ってくれ。

浪人していくつかの大学に合格し、最終的に大学や学部を選んだ理由も「新設学部の一期生だし、文理融合だからなんかおもしろそう」という理由である。

結局受験エリート戦士たちの高校3年生の時点にすら追いつけなかった。

けれども、僕には学歴コンプレックスとやらはない。
勉強して、勉強して、それでも第一志望に合格出来なくって。ちくしょう。
って人なら学歴にコンプレックスを持ってもおかしくはないが、僕の場合はそこまでに至っていなかったのだ。


~ Intermission (僕の) ~


中学受験を勝ち抜いた人たちは本当にすごい。
12歳やそこらで、というかだらこそ、猛烈な受験戦争を勝ち抜いてきたのである。尊敬する。
たぶん、いや絶対大学生である僕よりも色々知っているし地頭や考える力もある。
僕が10年やっても中学受験戦争には勝ち抜けないと思う。

そんな彼らが大企業や官僚に勤めて社会を支えてくれる立派で頑丈で大きな歯車になってくれることによって、世の中はうまく動いていくのである。
将来、社会を動かす立派な歯車の一部になる人もしくは、ならせたい人にとっては中学受験は絶対にすべきである。
歯車というとネガティブなイメージで揶揄されがちだけど、僕は「なくてはならない」というポジティブなイメージで使っている。今は。

受験戦争により振り分けられた学歴によって企業や社会がその人のある程度を判断するのは当たり前である。「東大はクソ」では決してない。
みんなが同じことをどれだけ効率良く、そして勤勉=頑丈に、そして巧みにこなせるかという指標のうちのひとつが学歴であることは間違いない。もちろん「東大はクソ」の記事は”中学受験を勝ち抜いた人達と比べて”「東大はクソ」と記されているようだが、結局大学受験のチャンスで東大へ入れたのなら効率がよく、勤勉で、目標をクリア出来る人であることは確かである。少なくともそれ以外の人よりは。

だから、僕はそんな人達に社会を動かしていって欲しい。僕みたいなテキトーな人間ではなく。
効率良く、頑丈で勤勉に目標をクリア出来る歯車が多ければ多いほど社会にとっては良いのではないだろうか。
少なくとも東大に入れれば、社会の歯車としてうまくこなせるというプライドが芽生えるだろう。
そのプライドを傷つけまいとする人が多くなるほど社会はうまく持続が可能なんじゃないかな。
なのでそういった意味で東大を始めとする偏差値の高い大学は社会を動かすというプライド養成所であって欲しい。
プライドを持った人が多ければ多いほどいいはずだから、入学出来る人数も多い方がいいに決まっている。

話を中学受験に戻すと、僕が経験していないだけにしていない側からすると、「すべきである」と思う。
中学受験をしていると社会のレールに乗れやすいのだ。社会のレールにうまく乗れればきっと”労のない”人生が送れると思う。そのレールから一度反れたら乗り直すのは容易ではない。

では、中学受験もせず、大学の名前もたいしたことない僕はどうするのか。

僕の場合は非常に運が良い。

僕はここに来て自分が人生を賭けて何をしたいか、どうなりたいかの道が見えてきた。

周りのみんなはただなんとなく「就職活動」に精を出している。
かつて受験のエリート戦士だった僕の友人たちも例に漏れず。
果たしてその道を選んで本当に良いのかとみんなに問いたい。
みんな僕より頭がいいのできっとそんなこととっくに考えているとおもうけれど。

でも時間は待ってはくれない。乗り遅れないためには就活をしなければならない。
みんなの場合は簡単に捨てられないものをこれまで培ってきたんだと思う。学歴とか。プライドとか。

偉い人が「得たものを捨てることが一番難しい。」みたいなことを言っただろうし。人間の長い歴史の中のどっかできっと。

んで、僕の場合は大事にとっておくほど立派な物を現時点で持っていないのでこれから人生を賭けて取りに行くといった感じである。そういった意味で大学受験もそこそこでよかったと思っている。というか思いたい。
守るものがないから攻め攻めで。

「戦闘力1」の下級戦士であったぼくは地球に飛ばされたけれどうまく
”クリリン”や”亀仙人”や”ピッコロ大魔王”に出会うことができた。

そしてこれからが”悟空”になるか”ラディッツ”になるかの分かれ目で、その今が人生の中で大事な時期であるのだ。

受験戦争不適合者でも案外道は開けるもんである。

とか書いていたら金融日記さんの新たな記事

「天才小学生たちはどこに消えた?」

にそんな受験エリート戦士たちの行く末が書かれていた。
僕の仲間たちがフリーザ様に消されたり迎合したりしないことを祈るのみだ。

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こめんと

 うん、きっと、素直で綺麗にそのとおり。
 私はコンプレックスから自由になるために、カッケー大学にいって、その後、同じ理由でカッケー企業に就職して、そんでもって、いまも道を見失っている。
 他にすることも特になかったから(ゲームするくらいしか)それはそれで良かったと思うけど、きっとこれからも同じことの繰り返しかな(次は、カッケー役職?)。
 ”クリリン”や”亀仙人”や”ピッコロ大魔王”に出会うことができて良かったねえ。その時点で”悟空”だよ。私も会ったかもしれないけど、気付かなかった。
 がんばって。

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とりあえず、学生。
思ったことを脳みそから垂れ流しているだけですごめんなさい。
僕の脳みその便所でごめんなさい。

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