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手段と目的


手段と目的を混同している人がたくさんいる。
最終的な目標に向かっていく過程での一時的な目的であるならよいけれども。
だから、なぜ証券会社に勤めているのですか?

そんなことを無礼にも証券会社の人に言った。学生だからなせる技である。
そしたら、その人は笑ってこう言った。
「もちろんそういう人もいるけど、私は人の役にたってると思うから続けている。」と。

ここでいう目的と手段の履き違えってのは、「お金」のこと。
お金を得ることは目標に向かっていく過程の中の一時的な目的であっても、それが真の目的ではないはず。
それなのに、そこで立ち止まってしまっている人がたくさんいる。

でも、そうじゃない人もたくさんいるんだな。

最終的な目標を「人のために」って心から言える人間を僕は尊敬する。
なぜなら、僕は正直微塵もそれを目標にしたことがないからである。
けれども、こうも考える。
自分のやりたいこと、思うことをやって突き進んでゆけば最終的には人のためになるはずだ。と。

”人は生きるために生きる。”

東南アジアや南米を旅しているときに感じたこと。
それはニューヨークでも同じだった。

与えられた生の中でどれだけ幸せと感じることのできる瞬間があるか。

それにつきる。

あれ?だったら大金を儲けたときに至極の幸福を感じるならば、お金儲けも目標でありえるのか。

「稲盛和夫の実学経営と会計」




 この本は1998年に書かれたものである。企業の経営経験のない私が読んでも、当たり前なことが書かれている。けれども、やはりその当たり前なことが運営の本質なのでは?

現在の世界は言うまでもなく、ITバブルの崩壊や同時多発テロ、サブプライムローン問題など当時の状況から大きな変化が生じている。世界中の経営者の置かれている立場にも大きな変化がおこり資本主義という概念自体が見直されようとしている。しかし、この本で稲盛氏の述べる経営哲学はいつ、どんなときも変わらないものではないだろうか。彼の述べていることは企業の経営経験のない私からすると当たり前でとても簡単なことのように思える。彼の経営哲学は昨今では経営者や会計士のありかたとして当たり前の形になっていてもおかしくはない。それほど同書の哲学は簡単で経営行動の根本的なことだと思われた。けれども、現在の世の中を見ると一概とそうは言えないのかもしれない。

彼の哲学は大きく分けて3つに分けることができる。第一が“分かったフリをしないで、分からないことは分かるまで聞き、本質を理解し解決する。”という本質理解の哲学だ。現在の世の中に分からないことをはっきりと「分からない。知らない」と言える経営者がどれほどいるだろうか。権力や肩書が伴えば伴うほど、人は知識不足の露呈を恐れ、常識を疑わない。けれども、稲盛氏は、わからないことは積極的に理解しようとする。そしてそれが本質的におかしいと感じたとき、それを変えるのである。例えそれが常識であるとされていることでも 。これは次の哲学にも関係する。
 
第二の哲学は“曖昧さや妥協を許すことなく仕事を仕上げる”という完璧主義的哲学である。完璧主義と言っても難しいことを述べているわけではない。ただ、一つひとつの仕事をきっちりとこなせということだ。一方で経営者は指示をするだけでなく実際に現場へ確認することが必要であり、さらに罪を作らせない思いやりが必要である。経営者は社員が確実に仕事をこなせる場とシステムの提供が必要なのだ。
 
最後は“自分で額に汗して稼いだものしか利益ではない”という投資哲学だ。投機によって利益を得るということは目的のための手段であったはずだ。何かやりたい事や作りたいものという目的があり、そこで資金が必要なのでそれを調達する手段が投機であるはずだ。しかし、昨今の世の中を見ても分かるように本来は手段であるはずの投機による利益が目的へと摩り替わってしまっている。それが最終的には会社の根幹を揺るがすほどの甚大な被害がもたらされ、我々にも大きな影響が及ぼされる結果になる。稲盛氏の言葉を借りれば「自ら働いて得る利益を尊ぶという原理原則を経営者が無視した結果である。」

 稲盛氏の述べている哲学は決して難しいことではない。けれども、簡単なことをしっかりと確実にこなせる人間がどれほどいるだろうか。彼の哲学に基づく行動行っていれば自然に、経営者の行動自体が一番のコーポレート・ガバナンスになりえたはずである。もし、世界の経営者が同書に書かれている通り当たり前のことを当たり前にこなしていればやはりこれほど世界が経済、金融によって暗くなることはなかったのではないか。もちろん、当たり前のことを当たり前にこなすことが実は最も困難であるということは言うまでもないのだが。

"ルートヴィヒ"を聴きながら。

A Clockwork Orange(邦題:時計じかけのオレンジ)

スタンリー・キューブリックの作品。1971年公開。

もう3日連続で見とるよ。この映画。
この映画を見終わるとなんでか知らんがミートスパゲッティが食べたくなる。



若いときには誰でも経験するあの溢れ出るエネルギー。
そのエネルギーをありったけ周囲にぶつけまくる主人公のアレックス。暴力、SEX、反体制。
僕は今、SEXと反体制の間くらいってわけか。

過激な描写、印象的なクラシック。
これが芸術的ってやつか。と芸術の「げ」の字も知らない僕は思うのだ。
歳をとってから観るよりも、若いうちにぜひ観て欲しい。
そんでもって歳をとってからまた観よう。おそらく印象がぜんぜん違うだろう。

これが40年も前の映画なんて信じられない。
ということは、40年分の若者がこの映画を観てなにかしら感じたってことか。
2001年宇宙の旅といい、キューブリックの頭んなかはどうなってるんだろう。
映画による表現は彼の頭のなかで描いている映像のほんの断片でしかないんだろうな。
あぁ覗いてみたい。

ところで、wikipediaによるとこの映画には制作されていない最後の章があるらしい
けれども、映画は作成されたとおりの終わり方で良かったと思う。
あれ以上は十分だ。語らずともわかる。

そういえば、僕も恥ずかしながら小学生の時はかなりやんちゃだったらしい。
しかも、けんか相手が女の子でも容赦がなかったらしい。なんとも最低な奴だ。
「らしい」というのは最近、その相手だった女の子から愚行を聞いたのであって、僕の脳みそからその記憶はすっかり消されていたのだ。消したい過去の一つだ。あ、消してたのか。
もちろんしっかりあやまった。しっかりと奢らさせていただいた。

中学、高校と僕の溢れ出すエネルギーは日々の部活へと向いていて、余計なことに体力も脳みそも使う暇がなかったのでアレックスのようにはならなかったのは幸運である。一歩間違っていたら危なかった気がする。

この映画は冒頭から最後までどこのシーンを抜き出しても印象的。
つまり、まったく退屈しないのだ。あのシーンもあのシーンもお気に入りである。
ただ、この映画を観てからは目薬を注すのが怖くなったのは言うまでもない。

「好きな映画監督は?」

まだ20年くらいしか生きてないけど、たぶんこの問に対する答えは一生変わらないと思う。

「スタンリー・キューブリック」

あぁ、今日もまた観てしまうのだろうか。

睡眠時間を返せキューブリックよ。

貧乏学生のススメ


貧乏一人暮らし生活は学生の今のうちに買ってでもすべきだと僕は勝手に思っている。

大学を出てしまったら、就職や起業、進学や留学などいろいろな選択肢はあるけれども、貧乏生活を満喫するほどの暇も体力も気力もないし、やりたくもないだろう。

もちろん学生時代の貧乏生活など疑似貧乏生活でしかない。帰るところもあり、助けてくれる家族や仲間がいる。そういった意味では心までは貧乏にはなれない。むしろ心をより幸福にするために金銭的貧乏を学生のうちに体験するのだ。すべて満たされてちゃあその先つまらない。
要は若い今のうちに自分のパンツは自分の手で洗っといたほーがいいんじゃないかってこと。
自分のパンツを自分の手で洗うことが貧乏なのかは甚だ疑問だけど。

僕の部屋にはテレビも冷蔵庫も洗濯機も電子レンジもない。
もちろんインターネットなんか繋がってない。

自分の脱ぎたてホカホカのパンツを桶と洗濯板を使って毎朝手で洗う。
その日の天気を気にしながらそれを干す。
この行為で一日のがはじまる。
なんとも清々しい。

冷蔵庫と電子レンジはあってもいいと思う。
けれども、冷えた飯を食って「いつかもっとうまい飯食ってやる」って思うのもなかなか楽しい。
ここから成り上がっていくのだ。と、一人で勝手に狼煙を上げるわけだ。

テレビは絶対いらない。
僕は天で意志が弱い人間なので、あると見てしまう。
けれども、テレビに貴重な学生時代の時間を無駄に使いたくない。
だからどーしても見たい番組は友達や家族に頼んで録画してもらってあとでVLCで2倍速で視聴する。
この見たい番組を2倍速で視聴ってのはかなりおすすめ。これはまた別途記述するかも。
んでもって、もとから興味なかったけれどついに最近の歌手や芸能人がまったくわからなくなった。
子供てんちょーってなんすか。。。といった具合に。
けれど、おかげで本を読んだり映画を見たりする時間が増えた。
そっちの方が僕にとっては充実した時間の使い方なのだ。

実は、一人暮らしをするにあたって最初は畳の部屋を探していた。
昔からなんとなく昭和の学生のイメージで学生生活をおくってみたかったのだ。
不動産屋さんにかなり探してもらったけれどもけれども今時なかなか畳はないらしく、見つからず断念。残念。

結局、現在は家賃21000円のゴージャスなアパートに住んでいる。
トイレも洋式だし、お湯はでるし、隣上下の声は少し聞こえる程度だし。学生にとって十分な部屋だ。
ほとんど家にいないので光熱費は5000円程度。食費は月に25000円くらい。
その他にいろいろ買い物するためのお金として10000円くらい。

21000円(家賃)+5000円(光熱費)+25000円(食費)+10000(その他雑費)=60000円くらいあれば足りる。

一週間に3日くらい働けば余裕で賄える。
使わなかったお金は貯金して夏にどっか海外に一ヶ月半くらい旅にでるのだ。
もちろんこれもビンボー旅。学生ビンボー万歳。

ビンボーな生活をすればするほど、きっと小さなことで幸せを感じられる。
これは、モラトリアム期間においてけっこー大切なことなんじゃないかな思う。

さぁ、いますぐ始めよう。貧乏な学生生活を。

About this blog.

日々の生活の中で、インプットする機会はたくさんある。

けれども、アウトプットをする機会がなかなかない。

そんなこんなではじめたこのブログ。

井の中の蛙が大海を語ったり、映画を語ったり、本を語ったり。

このブログはわたくしGooomyのアウトプットの産物である。

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とりあえず、学生。
思ったことを脳みそから垂れ流しているだけですごめんなさい。
僕の脳みその便所でごめんなさい。

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